3.身代わり地蔵 
 町田には「身代わり地蔵」というありがたいお地蔵様があるのだが知っとるかな。
山崎町の西のはずれ忠生との境近くに、まだ新しいほこらがあるがな、その祠の中の小さなお地蔵さんが「身代わり地蔵」じゃ。

何が有り難いかって、うん、それはだな、疲れた時や、けがをして痛いところがあれば、その身代わりになって痛みをとってくれるし、病気の人が熱だして苦しんでいれば、その身代わりになってくれるんだそうだ。

 そんな有り難いお地蔵さんなので、村の人たちばかりか、旅人までが「けがをしたときは、わたしの身代わり頼みます。」とお参りしていったそうじゃ。
 ところで、どうしてそんなお地蔵さんが、こんな田舎の道端に建っているのか、不思議には思わんかのう。
 きょうは、その話をしてあげよう。

 それは今から二百年も前のことじゃった。
 くわしく言えばな、江戸時代の1783年(天明3年)の年のことだった。
 あの浅間山が大爆発をしてな、その火山灰が、町田あたりまで飛んできて、田や畑に降ったもんで作物は全滅になってしもうた。

 それだけでも村人にとっては大変なことなのに、噴火の終わったあとにもっと恐ろしいことがつづいておこったのじゃ。
 「どうしておてんとう様は顔ださねえだ。」
 「これじゃあ今年もなんにもとれねぇぞ。」 
ヨ−ロッパまで流れていったと言われる噴火の煙が、町田の空をおおってしまい次の年も作物が取れないばかりか、田畑から流れ出した火山灰が川をうめ、各地で洪水をおこし田んぼを流してしまったのだ。

 これが、時のことを「天明の大飢饉」と言うてな全国で飢饉となり、東北地方では何万とも言われる餓死者がでたということだ。 

「今年の年貢は待ってもらおう。」    
「年貢どころか、おらのところは来年の種も実だってねぇ。どこぞで貸してもらわねば米作ることもできねぇ。」
村の者はみんなそろって役所に願い出たり、近くの村にお願いしてみたが、とても冬を越すほどの食物は集まりそうになかった。
 村の者が困りはてたそんな時じゃった。
  
 「このままでは山崎村の者は、みんなが飢え死にしてしまうのではねえか。」 
 「山崎村をなくしては先祖に申し訳ねぇ。」
 「何としても若い者や子どもには生きのびてもらわねばなんねぞ。」
 「おうそうだ。おらたちが若い者の身代わりになればいいでねえか。年寄はみんな村のお堂にこもるんじゃ」

 お年寄りたちは話が決まると、みんなそろってお堂にこもってしまったそうじゃ。
さあ驚いたのは残された村の子どもや若い者たちだった。
 「じいさまあ、ばあさまあ出てきてくんろ」
 「おらたち若いから、遠くの村まで食いもの探しに行けるだ。だから心配しねえで出てきてくれや。親不孝させねえでくんろ。」

 村の者はお堂の回りに集まって、じいさま、ばあさまに呼びかけたと。
 ところが中から聞こえるのは静かな念仏の声だけで、だれひとり出てくる者はなかったと言うことじゃ、

 こうして、お年寄りたちが残してくれた食べ物のおかげで、山崎村の子どもや若者は元気に春を迎えることが出来たのだそうだ。

 村の人たちは「このことを子々孫々いつまでも忘れてはなんねえぞ」そう言い交わし、村の辻に「身代わり地蔵」を建て、朝に晩にお墓参りを欠かさなかったそうじゃ。

 その「身代わり」が、いつの間にか病気や痛みの身代わりと言うことになり、村の人だけでなく、旅の者も、遠くからも、お参りするようになったんだと。

ところが世の中には、欲の深い者がおってのう、この地蔵さま盗んでいった者がいたんじゃ。
その話はまたいつかしてあげよう。

2001.1 船橋